泉房穂(前)市長の御言葉を検証する明石市民の会

泉房穂(前)市長の過去の発言を振り返り、明石や日本の将来について考えます

阪神・淡路大震災から28年 もし某市長が、震災時・復興期に首長やってたら・・・

1995年1月17日5時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の阪神・淡路大震災が発生しました。

 

神戸市や西宮市をはじめ広い範囲で家屋や都市建造物が倒壊し、また火災も相次ぎ一面焼け野原となった区域も少なくありません。人的被害は、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名にのぼりました。

 

住家は全壊が約10万5,000棟、半壊が約14万4,000棟、焼損棟数7574棟で、また文教施設は1800カ所以上、道路は7245カ所、橋梁は330カ所の被害が出るなど、施設関係の被害も極めて甚大でした。

 

 

兵庫県が推計した県内の被害額は、住宅、店舗、工場などの建築物約5兆8000億円、 港湾や道路などの社会基盤約2兆2000億円、ガス・電気・水道などのライフラインが約6000億円で、被害総額は9兆9268億円に達します。ちなみに、この金額は、東京と大阪を結ぶリニア中央新幹線の総事業費とほぼ同額です。

 

兵庫県の神戸や阪神ブッロクの地域経済は、阪神淡路大震災により、まさしく壊滅的な打撃を受けました。倒壊した阪神高速道路、あるいは一面焼け野原と化した長田区の街を発生直後に目の当たりにし、街の復興には相当の長い年月をするだろうと、悲観的な見通しを持っていた人は少なくなかったと思います。

 

けれども幸いなことに、神戸や阪神地方の街は、ごく短期間のうちに、見事な復興を遂げました。水道や電気、電話などのライフラインや通信施設は瞬く間に復旧し、阪神高速道路を含め公共交通機関は陸路、海上輸送路ともに震災から2~3年のうちに、完全復旧しました。

 

仮設住宅の入居者は10か月後の1995年11月にピークを迎えますが、震災から5年後の2000年1月には入居世帯がすべて解消しました。同時進行で、災害公営住宅の建造や個人の持ち家の建て替えも急ピッチで進んだからです。

 

震災復興の一環として、兵庫県内では、神戸市、芦屋市、西宮市、淡路市で合計20事業地区、255.9haの土地区画整理事業が実施されました。全地区が完了したのは2015年3月でしたが、震災後10年の2005年度までには7割の14地区が完了していました。

 

もちろん、阪神・淡路大震災後の復興が、すべてバラ色だった訳ではありません。自衛隊の初動体制の遅れなどにより、救えたはずの多くの命が犠牲となりました。高齢者の孤独死、被災者のメンタルヘルスの問題、地域社会の分断など、様々な負の事象があったことを忘れてはいけません。ただいずれにしても、ハード面を中心とした都市の復興という観点からは、阪神・淡路大震災後の神戸や阪神ブロックは、まぎれもなく驚異的な大成功を収めたといえるでしょう。

 

兵庫県や被災市における震災復興事業

このように、神戸や阪神ブロック地域が、震災後驚異的な復興を遂げることができたのは、地域住民や地域の事業者が一致団結して復興に取り組んだことの血と汗の結晶であることは言うまでもありませんが、兵庫県知事や神戸市、その他の被災市の市長の並々ならぬリーダーシップの賜であり、そして黒子である兵庫県庁や神戸市をはじめとする被災市の市役所職員の粉骨砕身の奮闘の功績であるという事実も忘れてはいけません。

 

兵庫県庁では、震災直後から、県内各市町のニーズや課題を吸い上げて政府との調整の窓口となり、国からの数々の支援を取り付けていきました。また、復興にあたり、県内各市町への財政支援も行ってきました。兵庫県では2002年3月末までの時限措置として産業復興推進条例が制定されました。そして、被災地の10市10町を対象として、集積を図る産業として医療・福祉・生活文化・情報・通信・環境エネルギー等の分野を選定し、戦略的な産業振興策が講じられてきました。

 

わが国では、台風などで甚大な被害が発生し、「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」(いわゆる激甚災害法)に基づく激甚災害に指定されると、被災した自治体では、比較的高い補助率で国から公共施設や農地の復旧のための財政支援を受けることができます。震災後には、「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」が制定され、激甚災害法で対象となっていない施設等にも国からの財政支援が得られるようになりました。

 

兵庫県によると、県内の復興事業費の総額は約16兆3000億円で、そのうち8兆円を国、2兆3千億円を県、残り6兆円を各市が負担しました。事業費全体の半分弱は国の負担、すなわち、日本国民1.2億人全員の連帯により広く薄く負担したことになりますが、半分強は兵庫県と県内の被災市が負担したことになります。

 

県や市の財政力では、8兆円もの復興事業費を確保するのは並大抵のことではありません。単年の県税や市税だけで所要額を賄うことはできず、後年に負担する借金(地方債)により事業費が工面されたのです。

 

兵庫県では、2.3兆円の負担額のうち、約1.3兆円を県債発行により確保しました。その借金返済のため、毎年、数百億~千数百億円の公債費を計上してきましたが、2021年度末の時点でまだ2500億円ほど借金が残っています。

 

神戸市でも県を上回る1兆3353億円もの市債を発行して、復興事業費を工面しました。がれき撤去などに充てた災害復旧債計1996億円は2016年度末に完済しましたが、再開発事業などに充てた復興関連市債は21年度末時点で898億円残っています。

 

西宮市、尼崎市、芦屋市、宝塚市淡路市でも、復興事業のためにそれぞれ1770億、944億、901億、569億円、259億円もの市債を発行し、これまでに償還(返済)を進めてきましたが、2021年度末に、それぞれ80億、138億、94億、67億、46億円の残高が存在しています。

 

神戸や西宮、尼崎、芦屋、宝塚、淡路など、阪神・淡路大震災の被害が特に激しかった自治体では、震災後の約10年間は、血の汗を流すような奮闘で復興に取り組んできました。そして、見事な復興に成功した後は、今度は、厳しい財政状況が続く中で、もがき苦しみながら必死の思いで、復興のために借金したお金の返済を続けてきたのです。

 

もし某市長が、震災時・復興期に首長やってたら・・・

神戸や阪神ブロックの被災市の近隣には、兵庫県庁やこれらの市が震災後の28年間、どれだけ苦労に苦労を重ねて財政運営を行ってきたのか全く理解できない、ごみ屑のような愚かな市長が一匹生息していますね。

 

そう、兵庫県知事の財政運営上の苦労を全く理解できず、「無能」だとか「県民のほうを向いていない」だのと罵倒を続けきた市長のことです。神戸市長などにも噛みついてきましたね。社会資本整備のための公共事業のことを、利権のための税金の無駄遣いとしか考えていないお方で、「私が知事になった方が兵庫県民は幸せだったと思う」などとも公言している厚顔無恥の間抜け市長です。

 

確実に言えることとして、震災発生時、あるいはその後の復興期に、兵庫県知事や被災市の市長にこの人物が就いていたら、インフラ整備が進まず、復興は暗礁に乗り上げていたことでしょう。こんな愚かな人物が知事や市長でなかったことは、兵庫県民にとって何よりも幸せなことです。

 

言うまでも無く、震源地からの距離の近い明石市でも、それなりに被害は発生しました。決して明石の震災被害が小さかった訳ではありません。我が家を失った人は少なからず存在し、市のシンボルである天文科学館も被害を受けました。明石市では震災で11名が亡くなっています。そのほか市外で死亡した市民も15人いました。けれども、神戸市の4564人、西宮市の1126人、芦屋市443人、宝塚市117人などと比較すると、犠牲者は桁被害に少人数に留まっています。

 

明石市でも市債を発行して復興事業にあたりました。とはいえども、震災関連で明石市が発行した市債は計136億円に留まっており、この金額は、神戸市の1兆3353億、西宮市1770億、尼崎市944億円などの市債発行と比べると、桁違いに少額ですんでいたのです。

 

 

明石市において、現在、市長が自身の選挙目当てでバラマキ政策を続けることができるのは、幸いにも近隣自治体と比べると震災の被害が小さく、復興のための借金は少額に留まったからなのです。復興事業を進めるために多額の借金を負った自治体において、明石市のような安易なバラマキ政策を行うのが財政的に不可能であることは、言うまでもないことです。

 

あと数年で神戸市は、復興事業のために発行した市債を完済できる見通しです。そうすると、これまで全く財政的にゆとりのなかった神戸市の財政に、多少の余裕が生じるかも知れません。そのときにガリバー神戸市が本気で、人口増(周辺自治体からの転入増)を意図した総合的施策を展開するようなことがあれば、明石市は絶対に太刀打ちできないことでしょう。