泉房穂(前)市長の御言葉を検証する明石市民の会

泉房穂(前)市長の過去の発言を振り返り、明石や日本の将来について考えます

国民負担率についてミスリードする愚劣なデマゴーグ・泉房穂市長

このところ本ブログでは、ゲセワなゴシップと受け止められかねない話題が続きましたが、今回はちょっと高尚というか専門的な論評を行ってみたいと思います。

 

まずは2023年2月22日の、我らが泉房穂市長のツイートを引用します。

日本の『国民負担率』は“47.5%”。国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている。にもかかわらず、子育て支援も介護負担の軽減も一向に進まない。私たちのお金は、一体どこに消えているのだろう。江戸時代よりひどい時代に、私たちは生きているのかもしれない・・・

 

国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている」云々の主張は、社会や政治に対しそこはかとない不平や不満、先行きに対して漠とした不安を抱いている大衆の心をキャッチし、自身への支持拡大につながるということを本能的に理解した上での打算に基づくキャッチフレーズだと思われます。

 

泉市長はこれまでに、同旨の大衆迎合的主張をこれまで繰り返してこられました。2023年2月24日には、次のようにつぶやいています。

「国民負担率2割の昔」は8割が残ったが、「国民負担率47.5%の今」の若者は稼いだ額の半分しか使えないとの指摘だが、光熱水費やNHK受信料などもあるので、実際は半分も残らない。そしてそれは、“若者の責任”ではなく、そんな政治を黙認してきた“今の高齢者たちの責任”・・・

 

 

2022年12月10日には、「泉市長、凄いですねー。金のなる木、打ち出の小槌でもお持ちですか?」という「カティサーク」氏の質問に対し、次のような返答をツイートしています。

金のなる木も、打ち出の小槌も持ってはいませんが、市民からお預かりしているお金(税金や保険料など)の無駄遣いをやめて、市民のために使うようにしただけです。国民負担率は諸外国と変わらないのに、日本だけが利権を温存し、国民に冷たい政治を続けているということです。本当のところは・・・

 

いったい全体、いかなる根拠でもって、泉市長殿は「国民負担率は諸外国と変わらないのに、日本だけが利権を温存し、国民に冷たい政治を続けている」という主張をされているのでしょうか。

 

発言の根拠を探すべく、泉市長の過去の発言を片っ端からリサーチしたところ、唯一、確認できたのが、2022年9月29日のツイートです。このツイートでは、各国の国民負担率を比較した表を部分抜粋した上で、以下のように主張しておられます。

 

私たちは、すでに十分、国家に対して負担している。日本の『国民負担率』は、実はスペインやイギリス並みで、ニュージーランドや韓国よりも重い。消費税率は高くはないが、介護保険などで社会保障負担率が高く、すでに十分すぎるほど負担している。国が無駄遣いしなければ、これ以上の負担は不要だ。

 

添付されている国民負担率の比較表を見ると、確かに、日本の『国民負担率』は、スペインやイギリスをやや下回っているものの、ニュージーランドや韓国よりもやや高い数値となっています。だけど、この比較表や泉市長のつぶやきに対し、どうもしっくりこないと違和感を感じる人が少なくないのではないでしょうか。ここに挙げた国以外の先進諸国の事情はどうなのか、と素朴な疑問を感じませんか?

 

しかるに、市長は、2022年5月5日配信の東洋経済オンラインのインタビュー記事の中で、泉市長は、「明石市が行う全国初の施策はグローバルスタンダード」だとおっしゃっています。」「とくに参考にしている国はありますか。」という質問に対し、「子ども施策はフランスをかなり意識しました。ケースにもよりますが、ドイツ、スウェーデンノルウェーあたりも参考にしています。」と回答されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/584813

 

これが先ほどの違和感の正体です。泉市長は、フランス、ドイツ、スウェーデンノルウェーあたりの施策を参考にしていると堂々と主張しているにも関わらず、何故か2022年9月29日のツイートには、施策の参考にしておられるところのフランス、ドイツ、スウェーデンノルウェーあたりの国民負担率について全く言及されていないのです。摩訶不思議ですね。何故なのでしょうかね。

 

ともあれ、フランス、ドイツ、スウェーデンノルウェーあたりの国民負担率はどの程度の数字なのか気になるというのが人情ではないでしょうか。実は、泉市長がツイートで引用した国際比較表は、税制や社会保障に関心のある人にとっては非常にメジャーなもので、財務省が毎年作成しているものです。

 

ずばり出典は、財務省のホームーページに掲載されている「国民負担率の国際比較(OECD加盟36カ国)」という表です。

https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/238.pdf

 

原典にあたると、日本の44.4%(2019年)に該当する国民負担率の数値は、フランスは67.1%、スウェーデン56.4%、ドイツ54.9%、ノルウェー54.0%となっています。この表を見ると、「国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている」という泉市長の主張は真っ赤なウソだということが一目瞭然ですね。

 

9月29日に泉市長が書き込んでいる「日本の『国民負担率』は、実はスペインやイギリス並みで、ニュージーランドや韓国よりも重い。」という指摘自体に偽りはないですが、「国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしているという主張を導くために恣意的に公的データを切り貼るという姑息で卑劣なことをやってのけているのです。これは、悪質な詐欺師が常用する手口に他なりません。

 

ここまでお読みいただいて、泉市長の卑怯な情報操作に憤りを覚えている読者の皆さんの中には、泉市長に上の表を突きつけて、国民負担率についての認識の質問を試みられる方がいらっしゃるかも知れません。

 

その際の泉市長の対応は十分に予想できます。まずは質問メールをブロックするはずですが、ブロックできない状況であれば、きっと涼しい顔をして、何ら悪びれることなく次のように強弁して煙に巻こうとするに違いありません。「この図は、財務省が作成したものだよね。だいたい財務省が作る資料なんて、もともと信用できるわけ無いじゃありませんか。そもそも国民負担率という概念自体、専門家の間ではナンセンスだと批判されていますからね」、と。

 

いかにも泉市長が口にしそうな、反論になっていない論点すり替え口上だと思いませんか? 後述のとおり、「国民負担率」という概念自体、いろいろ疑義があるのは事実ですが、ここでは、「国民負担率」という概念自体が論点なのではなく、その概念を部分引用して事実を歪めている泉市長の行いが問題視されているはずです。にも関わらず、自身の卑劣な行為は棚に上げ、場当たり的に論点をずらして開き直り、その場をやり過ごそうとするのは、いかにも泉市長がやりそうな無責任かつ不誠実な愚挙であり、悪質なペテン師の常套手段というべきものです。

 

国民負担率の対国民所得と対GDPの違い

さて、「国民負担率」という概念自体に、いろいろ疑義があるということを前述しましたが、ここからは国民負担率という概念についてさらに掘り下げていきます。ここではひとまず国民負担率とは、税金の負担率(租税負担率)と社会保険料の負担率(社会保障負担率)の合計だということを覚えておいてください。

 

もう一度、「国民負担率の国際比較(OECD加盟36カ国)」の原典図の左側をご覧下さい。2位のフランス67.1%、3位のデンマーク66.2%はともかくとして、1位のルクセンブルグの国民負担率は93.4%と記載されています。一体、これはどういうことでしょうか。ルクセンブルグ人は100万を稼いだら、93.4%はお上に召し上げられ、手元には6万6000円しか残らないのでしょうか。あるいは、フランス人は100万を稼いだら67.1%が天引きされ、手取りは32万9000円に留まっているのでしょうか。

 

常識的に考えて、信じがたいことですね。実はこれは、財務省による国民負担率の概念について、最も批判されている論点に関連するもので、「対GDP」ではなく「対国民所得」で算定していることによって生じる「異常値」なのです。

 

GDPやら国民所得という概念が出てきただけで苦手意識を持つ方がいるかも知れませんが、中学時代の公民や高校時代に現代社会で勉強したことを、少しだけ思い出してください。かつては、GDP国内総生産)のかわりにGNP(国民総生産)というが概念が用いられていました。両者は、日本人あるいは日系企業が海外で稼いだお金、逆に外国人や外資系企業が日本で稼いだお金をどうカウントするかという違いがありましたね。

 

GDPは、国内で一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額なので、外国人や外資系企業が日本で稼いだお金はカウントしますが、大谷翔平選手やトヨタ自動車が海外で稼いだお金は含まれません。逆に、大谷翔平選手やトヨタ自動車が海外で稼いだお金は、日本のGNPにはカウントされますが、外国人や外資系企業が日本で稼いだお金は計算上除外されます。

 

国民所得」は、純粋に国民が使えるお金を意味しますが、「国民」所得という名前のとおり、GNP同様に海外からの純所得を包含していますが、GNPとの違いは、固定資産消耗(減価償却費)が差し引かれ(この値を「国民純生産」と呼びます)、さらに、間接税(消費税)が差し控え、逆に行政からの補助金をプラスして算定されます。

 

ということで、GDP国民所得の関係を式で表すと、次のようになります。

国民所得=GDP-固定資本減耗-海外に対する所得+海外からの所得-間接税+補助金

 

国民負担率は、各国の税金や社会保険料費の合計額を、GDP国民所得で割った数字ですが、対国民所得の値を用いるのは日本のローカルルールで、国際的には対GDP比で示されます。国民所得と対GDPの値を比較すると、固定資産消耗、海外に対する所得、間接税の額が大きければ大きい国ほど、GDPと比較して国民所得の値が小さくなり、国民負担率の計算上、分子の金額が同じでも、対国民所得の値は大きくなります

 

繰り返しますが、国民負担率について、日本の44.4%、ルクゼンブルグが93.4%(いずれも2019年)といった数値は、対国民所得の値、すなわち、各国の税金や社会保険料費を、国民所得で割った数字なのです。実のところ、ルクセンブルグは面積が狭い国であり、労働人口の約半数が、隣国のフランス、ベルギー、ドイツから越境通勤しています。また、ルクセンブルグは間接税(付加価値税)の標準税率が17%で、日本よりも高い値です。このため、ルクゼンブルグの国民負担率(対国民所得)は必然的に大きな値となりますが、対GDPの国民負担率は40.8%に留まります。

 

GDPの国民負担率は、財務省「国民負担率の国際比較(OECD加盟36カ国)」の図の各国の棒の一番上に括弧書きで示されていますが、日本の2019年度の値は、31.9%となっています。ちなみに、先日公表された2020年度の日本の国民負担率は、対国民所得で47.9%、対GOPでは33.5%です。

 

頭の悪い評論家が、対国民所得の国民負担率が5割近い数値になっていることで、五公五民の重税だとか阿呆なことを言っているのはともかくとして、泉市長のような公職にある人間が「「国民負担率47.5%の今」の若者は稼いだ額の半分しか使えないとの指摘だが、光熱水費やNHK受信料などもあるので、実際は半分も残らない」だのと無責任なデマを放言・拡散するようでは、政治家失格です。

 

国民負担率の租税負担と社会保険負担

泉市長発言の愚かさを更に追求していきます。泉市長の国民負担率に関するツイートを読んでいて気になったことですが、もしかすれば、泉市長は、国民負担率の「国民」について幼稚園児レベルの初歩的な誤解をしているのではないかと疑われます。泉市長は、国民負担率47.5%と言った場合、例えば額面給与が600万円の個人が、285万円が税金と社会保険料として天引きされている状態だと思い込んでいるフシが伺えますが、ここで「国民」とは個々人の家計だけを指すのではなく、企業(法人)も含まれていることに留意が必要です。

 

すなわち、国民負担率を構成する租税負担率とは、個人が支払う所得税や個人住民税などのほか、企業が支払う法人税や事業税も含んで計算されます。従って、国民負担率のうち租税負担率が25.8%だとして、個々人が額面年収の25.8%を納税しているという訳ではありません

 

国民負担率のうち社会保障負担率についても、個々人が負担して納める費用だけでなく、社会保険料の事業主負担分が包含されていることに留意が必要です。健康保険・介護保険・厚生年金・雇用保険労災保険といった社会保険については、企業(事業主)は、被用者と同率か被用者を上回る率で拠出(費用負担)しているのが実情です。従って、社会保障負担率が18.6%だからといって、個々人が額面年収の18.6%を社会保険料として納付している訳ではありません。

 

なお「社会保障」と「社会保険」の概念の関係について深入りしませんが、広範な社会保障関連経費のうち、社会保険の保険料の負担部分が「社会保障負担率」の分子になっています。

 

社会保障負担にケチをつける泉市長の愚行・蛮行

社会保障負担についての説明を続けます。冒頭に挙げたツイートで泉市長は、「国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている。にもかかわらず、子育て支援も介護負担の軽減も一向に進まない。私たちのお金は、一体どこに消えているのだろう。」とつぶやいておられましたが、関連するツイートを3つ引用します。

 

まずは、2023年1月18日のツイートです。

日本の国民は、諸外国並みにすでに十分に負担している。消費税は10%だが、保険料負担(国保介護保険など)は諸外国より重く、国民負担率はすでに5割近い。世の中の普通の庶民は、全国紙の新聞記者ほど高いお給料をもらっているわけではない。…

 

次いで、2022年12月18日のツイートです。

介護保険制度の導入』が国民にもたらしたのは「老後の安心」ではなく、保険料という名の「負担増」だ。保険料は導入時の2倍、3倍と跳ね上がっていき、国民はますます苦しくなっていっている。”官僚的なセコい発想“で国民に負担を押し付けたのが間違いだったことに、関係者は気づくべきだと思う。

 

3つめは、2022年8月21日のツイートで、こども保険に反対する主張の一環として、「日本の”国民“の『国民負担率』は、今や“5割近く”で、国際的にも低いわけではない。“政治家”と“官僚“と”マスコミ“が結託し『介護保険キャンペーン』などで世論を誘導し、”国民“に負担を押し付け続けてきた結果だ。」などと主張しています。

 

これらのツイートを見ていると、泉房穂なる人物は、政治家として救いようのないダボ(明石弁で「最低のアホ」)だということがよく判ります。というのは、泉市長の思考は、共同体における相互扶助(共助)という公共精神を完全に欠落した低格者の思考回路そのものだからです。泉市長の自己中心的性格が如実に現われていると言えます。

 

そもそも社会保険とは何でしょうか。病気やケガ、労働災害、失業、高齢化などの誰にでも起こりうるリスクに対して、社会全体で備えることを社会保険といいます。自分は健康で長生きの家系で、10年以上病院を受診したことがないので健康保険料は支払わない。あるいは、自分はがんの家系なので、どうせ長生きしないので、年金の保険料は払いたくない。このようなワガママは許されませんよね。社会全体で助け合う、社会全体で備えるために社会の構成員がお金を出し合ってプールする仕組みが社会保険なのです。

 

医療や介護を手厚く行うためには、当然ながら、社会の構成員の負担は大きくなります。また、高齢者は、加齢とともに身体の不調を来しやすくなるので、高齢者人口が増大すればするほど、社会保険の負担額が上昇するのは当然のことです。

 

本来的には、社会保険料の納付を「負担」と表現すること自体が誤解のもとかも知れません。社会保険は、決して強制的に一方的に徴収される年貢のような類のものでく、互助組織への預け入れのようなものなので、租税の負担とは全く異質なものなのです。

 

泉市長は、「私たちのお金は、一体どこに消えているのだろう。」とつぶやいていますが、社会保険でプールしたお金が、他の用途に費消されることは制度上ありえません。全くナンセンスな妄言です。一般財源に充てられる租税については、用途について政治の裁量が働きますが、社会保険料が政治の判断で流用されることはなく、介護保険料であれば、あくまで要介護者の介護サービスを提供するために用いられるのです。

 

2022年12月10日のツイートで、泉市長は、「市民からお預かりしているお金(保険料など)の無駄遣いをやめて、市民のために使うようにした」とノタまっていましたが、国保介護保険など市が財政運用する社会保険について、市民のために使うのはあたりまえの事であり、そもそも無駄遣いなんて制度的にありません。何をまたタワゴトを抜かしているのだ、と呆れ果てます。

 

首都圏では3月18日から、電車に乗る際に、10円が加算される「鉄道駅バリアフリー料金制度」が導入されました。関西でも4月1日から導入されます。泉市長なら、「なんで余計に10円払わんといかんのや」と言って、駅員に暴行したり、駅の器物破損を働くかも知れませんね。だけど、常識的な公共精神がある人であれば、支払いにケチをつける人は皆無でしょう。泉市長のように社会保険料が跳ね上がっているだのとクレームをつけることは、鉄道駅バリアフリー料金に反発するに等しい反社会的・反公共的な蛮行なのです。

 

収入階層別の負担と受給

泉市長は、国民負担率47.5%と言った場合、例えば額面給与が600万円の個人が、285万円が税金と社会保険料として天引きされている状態だと思い込んでいるフシが伺えることは前述しました。泉市長は、額面給与が300万円の人も、600万円の人も、さらには1500万円の人も3000万円を超えるような人も全て一律に47.5%を天引きされているイメージで重税感を吹聴しておられます。

 

だけど所得税や住民税については、年収(所得)の水準に応じて、累進的に税率が上昇することは言うまでもないですよね。逆に、消費税や社会保険料は、低所得の層ほど負担感が高い逆進性を帯びています。このため、全ての収入階層で、負担率が一律ということはあり得ず、「「国民負担率47.5%の今」の若者は稼いだ額の…半分も残らない。」といった泉市長のつぶやきは悪質なデマという他ありません。

 

内閣府では平成27年に、収入階層別の受益・負担構造をシュミレーションしています。2015年における20~59歳の現役世代の受益・負担を、7つの収入階層に区分して図示されています。

【出典】内閣府「税・社会保障等を通じた受益と負担について(配布資料)」
    (平成27年6月1日経済財政諮問会議提出資料)
    https://www.cao.go.jp/zei-cho/content/20150702_27zen13kai5_1.pdf

 

 

この図の、真ん中の直線よりも下部の棒が、総収入に占める租税と社会保険の負担の割合となります。泉市長の2022年8月21日に添付されている表によれば、2015年の国民負担率は42.3%でしたね。ではその時点における、個々人の実際の負担割合はどうだったか、確認してみましょう。

 

年収が400万未満の階層から、2000~2500万円の比較的高収入層まで、微妙にバラツキはありますが、租税と社会保険の合計負担率は約25%で、年収2500万円を超過する層では負担率は35%程度となっています。

 

よく見ると、負担率が最も低いのは、年収400~800万円の層で、この収入階層では、負担率は20%強に留まっています。むしろ、年収400万未満の階層のほうが、負担率が微妙に高く、逆進的となっています。

 

けれども今度は、この図の真ん中よりも上の棒を見てみましょう。こちらは、各年収階層別の社会保障等の給付の受益割合が示されています。年収が低い階層ほど給付は手厚く、高収入層ほど受益割合が低いことがわかります。

 

受益と負担を差し引きした「ネット受益・負担」の割合が折れ線で示されていますが、年収400万未満の階層については、一見、負担率が高いように思われますが手厚い給付を受けており、トータルでは給付額のほうが大きいのです。

 

それに対し、年収400万円以上の層では、収入額の大きさに比例して「ネット受益・負担」率」は低下していきます。租税と社会保険料の負担と、受益の差し引きのマイナス部分は、都市整備や警察、消防をはじめとする様々な行政経費に充てられているのです。

 

おわりに

最後にもう一度、2023年2月22日の泉市長のツイートを全引用します。

日本の『国民負担率』は“47.5%”。国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている。にもかかわらず、子育て支援も介護負担の軽減も一向に進まない。私たちのお金は、一体どこに消えているのだろう。江戸時代よりひどい時代に、私たちは生きているのかもしれない・・・

 

このブログ記事を最後までお読みいただいた読者の皆さんは、泉房穂市長のこのつぶやきには全く根拠がなく、政治家として悪質で卑劣なデマゴーグであることが十分理解いただけたと思います。

 

北欧諸国などは、高福祉・高負担ということはよく知られています。すなわち、福祉は手厚いかわりに税金や社会保険料は高いということです。逆に、米国は、税金や社会保険料の負担額は比較的低いですが、その分、福祉も脆弱な低福祉・低負担の国です。

 

日本は、というと、その中間の「中福祉・中負担」の国だと言われることがあります。だけど、無責任な評論家やインチキ政治家が、「国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている」「もっと福祉を手厚くせよ。だけど増税するな。減税せよ」などとアジテートし、そのような主張にひきづられて「高福祉・低負担」の道を突き進んできました。

 

その成れの果てが、日本が抱える巨額の借金なのです。責任ある政治家のやるべきことは、「高福祉・低負担」の追求は不可能であることを国民・市民に正しく伝え、将来世代に負担を押しつけないよう、痛みを伴う改革にも取組み健全な財政運営を行うことではないでしょうか。