前々回の前編記事では、泉房穂市長の過去のジェンダー平等関連の発言を振り返り、市長は口先だけでジェンダー平等には無関心ではないかと考察しました。 akashi-shimin.hatenablog.jp
前回の中編記事では、明石市における審議会や幹部職員の女性登用状況から、泉市政がジェンダー平等の理念からほど遠い実態を確認しました。
今回の後編記事では、雑誌でのインタビュー発言を取り上げて、ジェンダー平等に無関心どころか、女性や子育てを軽んずる泉市長の本性について検証します。
雑誌『女性自身』のインタビューにおいて、泉房穂市長は地域政党の立ち上げに関して、次のように語っています。
「改革といえるかどうかは別にして、今はみんなの中で間違った思い込みがあると思うんです。選挙はお金がかかるし、政党や業界団体などのバックアップがないと当選できない。そういう思い込みを持ってしまっているから、立候補を諦めてしまうわけです。そうでなく、心ひとつで立候補して当選するというストーリーをつくる。私が応援します。
たとえば、ちいさなお子さんを育てるお母さんが『こんな私でもよければ』と言ってくれたら、もう充分。子育て真っ盛りのあなたこそが議員になって、その実際に子育てをやっているというリアリティーで政治をしていただく、議員をしていだだく。それこそが明石市民のためなんだと。もっといえば赤ちゃんを抱えたお母さんが選挙に立候補して、それを当選させるのが私の役割だと思っています。
でも今、そんな議員さんほとんどいません。女性議員も多くが大きな組織に担がれて立候補される方。本当に普通の市民が自分の思いひとつだけで立候補して当選しているかというと、実際には難しいわけです。でも、そこが当選するようにならないと……。子育てなんてやってないようなおっさん議員ばかりが当選するから、給食の無料化にも『そんなもの、愛情弁当を作れ!』みたいなことを言って反対してくるわけです。『家事も手伝わずに何を言うか、お前こそ弁当作れ!』と言いたくなります(笑)」
【出典】泉房穂明石市長 地域政党立ち上げ報道に異論「政党よりも、赤ちゃん抱えたお母さんを当選させたい」女性自身Website 2022/11/26
この発言には、女性や子育て、さらには議会制民主主義を軽んずる泉市長の浮薄な信条・価値観がものの見事に凝縮されているのではないでしょうか。以下において、このインタビュー記事の発言について考えてみます。
子育てママを取り換え可能な選挙対策の道具と軽んじる市長
『こんな私でもよければ』と言って赤ちゃんを抱えるお母さんが、心ひとつで立候補して当選というストーリーをつくることが目的だと率直に語っていますが、要するに、赤ちゃんを抱えた子育てママであれば誰でもいいから、自らが立ち上げる政党の選挙対策のアイコンとして利用したいという魂胆が露骨に表記されているではありませんか。
そこには、子育て真っ盛りの女性のかけがえのなさに対する配慮や敬意はみじんも感じられません。子育て中の女性を取り換え可能な選挙対策の道具として安易に扱うことは、女性や子育てに対する軽視・蔑視のメンタリティの表れにほかなりません。泉市長がのたまうジェンダー平等の表明は口先だけで、本心では「女は産む機械」の程度にしか考えていないことは明白です。
具体例は挙げませんが、国政でも地方選でも選挙目当てで神輿を担がれた「マイノリティー」が、一過性のブームが去った後は使い捨てにされる例は枚挙にいとまがありません。赤ちゃんを抱えるお母さんが立候補すると、選挙戦では絵になり、集票マシーンになってくれるでしょう。一過性の話題にはなるでしょうが、当選した後は、泉氏の単なる持ち駒としてイエスマン(イエスウーマンですね)として振る舞うことしか許されず、あとはポイ捨てされるのがオチです。泉氏のもとで、心あるリアリティあふれた政治の実践は期待できそうにありません。
泉市長の性格や行動様式を考えれば、当選した暁に子育てママ議員が、少しでも泉市長の気に障ったることをしたり、異論を唱えようものなら、恫喝され罵声を浴びせられ、人格破壊に追い込まれることであろうことは容易に想像できます。マスコミは、ゴシップ・ネタとしてこのような場面を待望していることでしょうが。
妊娠・出産・育児のリアルへの思慮を欠くお気楽で愚かなタワゴト
別の角度から問題点を指摘します。選挙目当てで子育てママを立候補に担ぎ出す企ては、命がけで子どもを出産し、育児に献身する産後期の母親の負担・苦労のリアリティへの思慮を欠いた、あまりにもお気楽で愚かなタワゴトです。
小さなお子さんを育児するお母さんの中で、泉市長が言うところの、『こんな私でもよければ』と言って選挙に立候補する精神的・肉体的・金銭的・時間的余力があるとすれば、例外中の例外の極めて恵まれた人であって、そもそも妊娠・出産・育児は、泉市長が安易に考えるような生半可なものではありません。
妊娠・出産の負担、産後の回復の度合いや、育児の身体的・精神的負担感には個人差が大きく、中には、何ら苦労を感じることなく、育児を楽しむことができている恵まれたお母さんもいることでしょう。
けれども、産後には、自らの体調回復もままならない状況において、乳児への哺乳や排せつ対応(おむつ交換)を24時間、四六時中行わなければならず、マタニティ・ブルーや産後うつなどに悩み、自宅から一歩も外出できないお母さんも少なくありません。
そもそも育児にまでたどり着けないケースもあります。「出産は女の大厄」という言葉がありますが、医学医療が高度化した現在にあっても、時として出産時の大量出血で命を落とすことがあります。命を落とさなくても、出産時に重篤な神経障害を負ってお母さんが生涯寝たきりになってしまうこともあります。そもそも出産までたどりつかず、妊娠中に重度なうつ病を患い、妊婦が自ら命を落としてしまう悲劇もあります。
あるいは、子どもを希望しながら、妊娠後に流産を繰り返し子どもを持つことがかなわない習慣性流産の女性、あるいは、そもそも妊娠に至らない不妊症の患者さんも一定数おられます。
『こんな私でもよければ』と言って選挙に立候補し、赤ちゃんを抱えて選挙戦を戦う余裕のある例外的に恵まれお母さんが、必ずしも、妊娠・出産・育児に関する様々な苦労・苦悩を抱える女性や家族、乳児の代弁者となりえるものではありません。
例外的に恵まれた育児女性が、様々な苦労・苦悩を抱える女性や家族、乳児の代弁者にならない、と断定するつもりはありません。しかしながら、例外的に恵まれた立場にあったとしても、自ら現在進行形で育児期間中のお母さんに、妊娠・出産・育児に関する様々な苦労・苦悩を抱える人たちの代弁を要求するのは酷です。
子育て(とりわけ乳児(赤ちゃん)の育児)と議員活動は、片手間に両立できるものでは決してありません。。比較的恵まれた立場にあるとはいえ自身もそれなりに育児負担をかかえる乳児の母親が、議員に立候補し、出産・育児に深刻な苦労・苦悩を抱える同世代の女性のことに十分思慮をめぐらし代弁的活動を行う余裕はないはずです。
(注)もっとも、現役子育てママが議員活動を行うこと自体を否定するつもりはありません。非妊娠期に選挙に立候補し、議員最中に妊娠・出産を経験し、子育てと議員活動を両立されている女性議員を時々見かけます。このようなママさん議員には敬意を表しますが、選挙めあてで、安易に子育てママに立候補を呼びかけ扇動・愚弄することを暴挙として非難するものです。
声をあげることができない当事者のための議会制民主主義
では、妊娠・出産・育児に関する様々な苦労・苦悩を抱える人たちの代弁を、誰がすべきなのでしょうか。
社会には、さまざまな困難をかかえ、自ら声をあげることがかなわない人たちが少なくありません。自らの要望を主張できない当事者のかわりに、直接の当事者以外の人たちが代弁し、社会をより良くしていく仕組み、それが議会制民主主義の本質です。
一般論として、現役の比較的恵まれた子育てママよりも、子育て経験のみならず様々な社会経験豊かなシニア女性のほうが、現に困難を抱える子育て女性の代弁者として適任のはずです。自身は子育て経験がない女性であっても、自らの人生経験に照らして、現役子育てママの立場に立って議会活動を行うことが可能です。
さらにいえば、子育て女性の苦悩は女性にしか理解できない、という発想も視野狭窄の偏見です。男性であっても、妊娠・出産・育児に関するつらさ・悩みを抱える人たちを代弁することが可能です。現に、女性議員以上に、妊娠・出産・育児の問題に熱心に取り組む男性議員は、国会議員にも地方議員にも多数存在します。
明石市議会では、現状でも育児の問題について熟議されている
泉市長は、こう独断しています。
女性議員も多くが大きな組織に担がれて立候補される方。本当に普通の市民が自分の思いひとつだけで立候補して当選しているかというと、実際には難しい
大きな組織が何を意味するのか不明ですが、現在、明石市議では29名中9人の女性議員がおられます。国政レベルの大政党に所属する方もいれば、地域政党の方もおられます。いずれにしても、それぞれの女性議員の皆さんは、所属政党のイデオロギーに関わらず、妊娠・出産・育児の問題に熱心に取り組まれています。
女性議員に限らず、明石市議会の男性議員諸氏も、泉市長が毛嫌いする政党の方を含め、妊娠・出産・育児の課題について当事者視点で意欲的に取り組まれています。
明石市議会では現状でも、男女問わず、各議員によって妊娠・出産・育児に関する多種多様な問題について、熟議が交わされています。自身の政党を売り込むため事実を捻じ曲げるインタビュー発言は、議会制民主主義の破壊行為に他なりません。
週1回の授乳徹夜を自慢する自称ジェンダー平等主義者の愚
本稿の最後に、冒頭の『女性自身』のインタビューの最後の部分を再度引用して、泉市長殿のジェンダー平等の感覚について付言しておきます。
子育てなんてやってないようなおっさん議員ばかりが当選するから、給食の無料化にも『そんなもの、愛情弁当を作れ!』みたいなことを言って反対してくるわけです。『家事も手伝わずに何を言うか、お前こそ弁当作れ!』と言いたくなります(笑)
「子育てなんてやってないようなおっさん議員ばかりが当選する」と、世の男性議員諸氏に対するネガティブ発言をしていますが、それでは当の泉市長自身は、よほど積極的に子育てに励んでおられたのでしょうか。
別のインタビュー記事で、泉市長殿は次のように語っています。
現在の日本では、子育てを含めた様々な負担が女性に集中しています。そういう意味では、あまりフェアな状況ではないと感じますね。
私も自身が子育てをしている時は、週1回は徹夜で子どもの授乳を担当し、その分妻にゆっくり寝てもらっていました。
【出典】日本財団Hiro's 2022/10/31
『子育て都市』明石を作った市長の提言<特別対談 泉房穂×荒木絵里香>
自分は週1回子育てをやっていたので、授乳・子育ての苦労は熟知しており、世の男たちとは違うんだ、という例によって優越を誇る物言いをされています。しかし、週1回ばかし授乳とおむつ交換で徹夜したことを自慢するのは、傲慢な思い上がり以上の何ものでもありません。
週1回の徹夜なんぞ、子育てゼロのおっさんと大差ありません。週一回徹夜での授乳体験をもって、自分は子育てに深い経験と博識があるとうぬぼれる政治家には、子育てのリアリティを理解することができず、しょせん表層的な子育て支援策しか思いつかないのではないでしょうか。
母親による弁当作りをも、あまりにも軽々しく考えていますね。おっさん議員からの圧によって弁当作りを余儀なくされていると短絡思考する泉市長殿には、キャラ弁づくりに勤しんでいるママたちの苦労のリアルを絶対に理解できないことでしょう。