我らが泉房穂明石市長は、きつねうどんが好物の一つなのか、時々、きつねうどんの写真をツイートしておられます。例として、2022年8月15日のツイートを引用します。
昼食の時間だ。
“あたりまえの日常”は、すぐには戻ってはこないが、“あたりまえの日常”の如く、『きつねうどん』。
久しぶりなせいか、いつもより「お揚げ」も味がしみており、うどんの麺もコシがあるような気がする。
『きつねうどん』を食べることのできる幸せを、今、静かにかみしめている・・・
このような変哲のないきつねうどん写真の一方で、2022年8月29日以降、時々ちょっと個性的な食べ物写真をツイートしておられます。
これは、2022年8月29日のツイートです。
昼食の時間だ。
”あたりまえの日常“も大切だが、ときに”冒険“もしてみたくなる。そこで『きつねうどん』の具を少し動かしてみた。
まさか”勘違い“はないとは思うが、これは「人の顔」ではない。そんな食べ物で遊ぶようなことはしてはいけない。これは偶然だ。ピノキオの如く鼻が伸びているのも偶然だ。
次に、9月13日の泉市長のツイートに添付された写真を引用します。
翌9月14日には、きつねうどんではなく、そばの写真が添付されてました。
翌9月15日は、定番のきつねうどんです。
翌9月16日には、ハンバーグ定食の写真がツイートに添付されていました。
9月20日には、ざるそばの写真が泉市長のツイートに引用されていました。
12月28日には、定番のきつねうどんです。
2023年1月4日も、定番のきつねうどんの写真を添付してツイートされています。
2023年2月3日には節分の日バージョンで、きつねうどんに恵方巻をトッピングした写真を泉市長はツイートされていました。
これら一連の写真を見て、
「こいつは、精神年齢4~5歳の幼児だね」
「食べ物で遊ぶなんて、品がないどころか、公共性を欠如し政治家として最低」
「この手の低俗なブラックユーモアは、サイコパスやダーク・エンパシーの典型例だ」
といった受け止めをなさる方も少なからずおられることでしょう。
しかしながら、泉市長の食べ物写真に対するこのような受け止めは正鵠を射たものではなく、発想力・構想力が貧困で、既存の社会規範に拘束された愚民的思考と言うべきものだと言わざるをえません。
食べ物を粗末しては、お天道様に叱られる。食べ物はお百姓さん達の汗水の結晶であり、食べ物で遊ぶのはもってのほか。食べ物で遊びの具材にすることは、食のマナー以前の蛮行・愚行である。…
我々愚民は、とかくこのような発想をしがちですが、泉市長の遊戯的食べ物写真群は、現代日本の閉塞感の一因である社会規範や社会常識の境界線的な部分を前面に押し出し、果敢に社会秩序や因習の打破・変革に挑む革命的・前衛的な芸術活動と解するべきものなのです。
泉市長による一連の食のアート写真群は、決して4~5歳児の悪ふざけのような類いのものではなく、公衆道徳に反する品のない低俗なブラックージョークなのでは決してありません。
我らが泉房穂市長は、サルバドール・ダリやバンクシー、岡本太郎、横尾忠則といった異彩の芸術家たちを遙かに超越した、もはや神の領域ともいうべき比類無き天才的アーティストなのです。泉市長による秀逸な一連の食のアート写真群は、芸術商品市場においても、極めて高い貨幣的価値を有するかも知れません。
余談ながら、泉市長の真似ごとを試みて、その成果物をツイートする行為も一部で流行っているようです。例えば、2022年12月23日に「たむら よしくに」氏は、「泉市長の真似して、市役所できつねうどん」と書き込んでおられます。辛口批評になりますが、二番煎じの猿真似は、本家泉市長殿の足下にも及びません。
とまれ今回のブログでは、偉大な芸術家でもある泉市長の手になる一連の食のアート写真群を堂々と一挙掲載いたしました。しかるに読者の皆さんの中には、極めて芸術的価値、商品的価値の高い泉市長によるアート写真をスクショ引用することは、著作権侵害に該当するのではないかと、懸念を示される方がおられるかも知れませんね。
SNSのスクショ引用の著作権侵害の該当性については、知財高裁において判例が蓄積されつつありますが、知財問題に精通した旧知の有能な弁護士とも相談の上、適法との判断のもとに、本ブログ記事を作成したものであることを念のため付記いたします。